奥能登の交通の要衝

町野町は、奥能登三大市街地と呼ばれる輪島市、珠洲市、能登町の真ん中にあります。

「どこに行くにも五里(約20km)」ということから、もとやスーパーの真横に架かっている橋には「五里分け橋」という名前がついています。

ここを通らないとどこにも行けない交通の要衝。物流の重要地。

昔の町野町は奥能登のハブのような土地でした。

人口が減り続ける「限界集落」町野町

町野町の人口は1950年(昭和25年)から減少の一途をたどっています。

能登半島地震と奥能登豪雨(どちらも2024年)の10年前、2015年には2000人を上回っていた町野町の人口は、2025年には800人になりました。

データ上は1500人ほどの人が町野町に住んでいることになっていますが、住民票を残したまま避難している人が多く、実際に生活している人は800人ほどです。

町野町はもはや限界集落となっていて、生活インフラを保つのもギリギリという厳しい現状があります。

町野町から始める奥能登再建

2024年の能登半島地震と奥能登豪雨を経て、町野町は9割以上の建物が公費解体の対象となるほど、壊滅的な被害を受けました。

もとやスーパーにも2m30cmクラスの津波が押し寄せて、建物を飲み込み、すべて流されてしまいました。

今の町野町は確かに限界集落です。

その限界集落に、1年に2回も大きな災害が来て、心が折れたこともあります。

この土地での生活再建を諦めて移り住んでいった人たちもいます。

それでもまだ町野町には800人が暮らしています。

都会から見れば「800人しかいない」と感じるかもしれません。

けれど、町野町で生まれ育ち今も暮らしている私たちにとっては、「今も800人が暮らしている」なのです。

奥能登全体でみれば、さらに多くの人たちが今も慣れ親しんだ場所で暮らしています。

このまま終わらせたくない。

かつては交通の要衝だった町野町。

もとやスーパーが創業した頃には6000人以上の人が住んでいた町野町。

最盛期のようにはいかなくても、奥能登三大市街地の真ん中に位置する町野町から、奥能登復興のための新事業を始めます。

MOTOYA Base、立ち上がります。